2007年12月16日日曜日

デジタル情報の担い手

デジタル情報の担い手は、はたしてだれなのだろうか。

それは、どうやらこれまでに文化の発信と貯蓄を一身に背負った出版関係の組織ではなさそうだ。考えるに、出版の活動を大きく選定、編集、印刷、発行と捉えるならば、その中で大きな比重を占めるのは後の二つ、すなわち物理的な要素をもつ役割だったと言えよう。対して、デジタル情報の発信は、かなり違う特徴を持つ。あえて言えば、選定、編集というプロセスこそ共通するが、印刷も発行もほぼ不要になる。だが、これらの機能は出版社にとって簡単に切り離せるものではないだけに、この現状にはすぐ変化が訪れないことだろう。

いまのところ、担い手の最近距離にあるのは、大学や公立の図書館だ。すでに公開されている古典作品の画像も、ほぼすべてこれらの機関から提供されている。

しかしながら、図書館に取っても、デジタル情報の提供とは、これまでの図書情報の管理、提供からすればまったく新らしい業務である。明らかなことに、図書館には選定、編集の役目を持たない。それよりも、編集されたものを分かりやすく整理し、使いやすいように提供することを役目とする。したがってデジタル情報に取り掛かるためには、違う方針と特別な作業チームが必要となる。

このことは、これまでに公開されているデジタル情報のありかたにもはっきりと現われている。すなわち、たいへん貴重なデジタル情報を提供していながら、それをなんのために提供しているのか、図書館という役目には沿っているかどうかということに、曖昧なままに続いていることが読み取れる。端的な例を挙げるならば、つぎの二つが指摘できよう。せっかく公開した資料は、満足に読めないぐらい小さなサイズのものにする。かなりの規模のものを公開していながら、それが読者の画面には簡単に表示できないようにと、意図的に制限を掛ける。このような処置は、情報の質を落とすということに他ならず、公開そのものはあくまでも試運転の状態のものだとの意思表明に違いない。現にこれらの情報公開をいつまでも続けるとの前提を設けない。出版の場合の、一度出したら永遠に変わらないで残るという使命を自ら取らない立場にある。

なお、日本の学術の環境では、図書館以外に、さまざまな資料を収集し、フィルムなどの形でこれを保存して、読者の閲覧に提供するという公的な機関が存在する。原則としては、上記の出版と図書館の中間に位置するもので、デジタル情報の作成と提供がその仕事の範囲にはるべきなのだが、これまでには積極的な参加が見られない。

このような環境の中で、デジタル情報の提供が実現できないのだろうか。いまの情報社会の発展はどうやらそのような結果を許さないらしい。北米や中国の場合、学術雑誌やアーカイブの資料はデジタルにて図書館などを通じて読者に提供されていて、研究者や大学生はすでにその恩恵を受けている。いうまでもなく提供者と大学図書館の間では、商業活動の形を取る。その目で見れば、日本だって圏外に置かれるはずがない。それのもっとも端的な動きは、グーグルと慶応大学図書館との共同作業だろう。そして、そのキャッチフレーズは、まさに「「御伽草子」も全文検索」といった、衝撃的なものだった。

因みに、古典資料だけで言えば、資料自体の著作権の問題は存在しない。これをデジタル化するという作業への権利はもちろん生じるだろう。だがこれまでの議論では、デジタル権利の主張や対応はあまり注目されていない。むしろ、これまでのデジタル情報の公開者からは「公開されたものが悪用されはしないか」との心配はよく聞かれる。ただし、現在のところ、そのような心配にあたるような実例はさほど報告されていない。

CNET Japan ニュース:Google、ブック検索で慶応義塾大学図書館と連携--図書館はアジアで初の参加
ITmedia ニュース:「御伽草子」も全文検索――Googleブック検索に慶大が参加

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