2008年3月4日火曜日

贅沢な「耳学問」

今日も興味深い古日記に見られる一つの記事を記しておく。古代の日常生活の中でどのような声が飛び交っていたかということを考える上で、あまりにも強烈な実例なのだ。

この記録は、「天下一の大学生」との誉れをもつ藤原頼長(1120-1156)の日記『台記』に収められたものだ。康治2年(1143)11月17日の条に、つぎの通りの文字が見られる。

「余近年学経、不暇学史、因之、自今春命生徒五人、食物及沐浴之時、令語南史要書三反、昨終其功。(余、近年経を学し、史を学する暇なし。これに因り、今春より生徒五人に命じ、食物及び沐浴の時、南史要書を三反語らしめ、昨その功を終ふ。)」

千年近くも前の記録なのに、「生徒」「食物」といった、今日でもきわめて身近な言葉の数々に驚く。あえて記事全体を現在の言い方に置き換えれば、おそらくつぎのような文章になるだろう。

「私は、近年、経書を学び、史書を読む暇がない。そのため、この春から五人の教え子に頼み、食事あるいは入浴の時、南史要書を三回ほど読み上げらせ、昨日をもって目出度くすべて終了した。」

わずかな説明を加えるとすれば、『南史』とは中国歴史書の「二十四史」の一つで、南北朝時代(439-589年)の南朝にあたる四つの国の歴史を記したものである。『南史要書』という書物は、きっと『南史』を抄出した平安時代の注釈書だったのだろう。

思えば、読みたい本があっても事情により適えられず、そのため、目で読む代わりに、生身の人間を録音機よろしくと働かせ、内容を耳で聞くという、まるで至福の勉強法だった。まさに耳から入るまともな学問、今日のわれわれにとってもいたって耳寄りの話だ。考えようによれば、iPodといった音声を記録する道具の普及により、生身の人間を立たせなくても済むというのが、この千年の間の文明のわずかな変化だとすべきかもしれない。

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