2008年4月2日水曜日

花見を眺める

東京は、桜のシーズンを迎えている。学生時代に住んでいた京都の街並とは違って、満開の桜が街角全体の色を変えてしまうというような迫力を持たないが、その代わりに、公園や並木の中の一本や二本の桜は、まさに木々の中の花に見えて、特別な風情を感じさせてくれる。

いうまでもなく、花見とは、一つの日本ならではの年中行事である。花見の歴史は長い。遠く平安時代の「右近の桜」から始まって、これを人為的に植えて愛でるという伝統は早くから根付いていて、綿々と受け継がれてきた。

中世の、室町時代の花見の風景とはどのようなものだったのだろうか。たとえば狩野長信(1577-1654)筆「花下遊楽図屏風」(国宝、6曲1双)左双を眺めてみよう。ここに描かれたのは、明らかに花を主役とする、日常から離れた平和で賑やかなひと時である。画面のほぼ中心に据えられた数台の駕籠がなにげなく伝えているように、ここはだれかの邸宅ではなく、空間的にも普段の生活の場から切り離された、まさに浮世を抜き出たところだった。長い幕に括られた庭の中で、静かな自然を打ち破るかのように、声高らかな歌や囃子が辺り一面を一変してしまう。花見をする人とは、あくまでも縁側に座った少人数の面々だろう。これらの貴人を囲み、人数の上ではそれの数倍にあたる人々は、踊りを演出したり、食事の準備をしたり、駕籠を担いだあとの休憩をしたりと、それぞれの役目をもってこの行事を支えている。ただしそのような仕える人々でさえ、華やかな風景に溶け込んでいて、それを存分に楽しんでいる。

念のために書いておくが、この画面の半分を占める木は、桜ではない。だが、同じ屏風の右双はこの場面の続きを描き、そこにはりっぱな桜がいっぱいに満開している。

「花下遊楽図屏風」は、いま東京国立博物館本館(日本ギャラリー)にて展示されている。あわせてライトアップされた博物館の庭園では、「博物館でお花見を」との行事が開催されている。今週の日曜日までだ。

博物館でお花見を

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