2008年4月13日日曜日

大織冠鎌足の美人局

昨日の「読売新聞」には絵巻の話題が報じられ、友人はさっそくそれを教えてくれた。前に書いた蘇我入鹿の暗殺(3月30日)と同じく藤原鎌足を主人公とするものだが、こちらのほうはいわば鎌足伝説のもう一つの極端を為すものだった。

これは、いわゆる「大織冠」と呼ばれる伝説である。大織冠とは、大化改新の結果の一つである冠位の最高位階であり、これを授けられたただ一人の人は藤原鎌足だったため、自然にかれの尊称と化した。「大織冠」というストーリはまさに奇想天外なものだった。その粗筋をごく簡略に述べてみれば、およそつぎの通りである。

藤原鎌足は、自分の娘を唐の太宗に嫁がせ、太宗からの返礼に釈迦の霊物を納めた玉が与えられ、万戸将軍がそれを守って日本に送られてくる。しかしながら、玉を狙って竜王は武力による強奪を企てるが失敗し、代わりに竜女を送り込み、万戸がその色仕掛けにまんまとはまり、玉を失ってしまう。ここに、宝物を奪え返そうと鎌足が奮起する。だが、その大織冠が取った奇策とは、同じく色仕掛けを仕返すというものだった。自ら海女と契って子を儲けさせ、その海女を竜宮に送り込んだ。海女は、玉を盗んで手に入れるところまで成功したが、企てがばれて殺される。海女の体を引き上げてみれば、玉は乳房に隠されていた。やがてそれが興福寺の本尊の眉間に納められるという目出度い結末となる。ストーリを読み返して、謀略と強奪、情欲と信仰と、まさに混沌とした中世的な世界をわずかに垣間見せてくれるような強烈なものだった。

以上の伝説の中核は、遠く『日本書紀』にすでに備わり、寺の縁起などによって伝承されていた。室町時代になって舞台芸能(幸若舞)として上演されて、ストーリのプロットが完成された。一方では絵画の作品でもこれをテーマの一つとし、絵巻のみではなく、屏風絵などもたくさん作成されていた。

因みに、絵巻の公開を「読売新聞」の全国版と関西版はやや異なる文章で伝えている。たとえば拝観料のことまで報じた内容は、地方と密着して頷けるが、室町時代の絵巻を紹介して「現存最古」云々と記事のタイトルに出すこと辺りは、混乱を招くだけだろう。(写真は志度寺蔵『大織冠絵巻』、『朝日百科・国宝と歴史の旅』より)

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