2008年6月1日日曜日

弁慶なまづ道具

三週間ほど前に起きたパンダの故郷での地震は、いまなお世の中の人々の心を掴ん離さない。連日のように報じられてくる一瞬の惨劇と、それを乗り越えた奇跡の数々に、何回目を潤ませたことだろうか。

地震は、伝統的な絵の画題の一つでもある。日本の絵画の歴史の中でくりかえし語り伝えられ、実際の作品を大事に保存されてきたのは、あの「鯰絵」である。いまから約150年前の、江戸後期に起きた安政大地震を受けて膨大な数に作製されたこの一群の絵は、奇想天外な形で地震の正体を鯰に集約させ、さまざまな格好をする鯰を通じて、地震への恐怖、それを退治する勇気、ひいては理不尽な運命へのやり切れなさを託していた。

インターネットでは、鯰絵についての紹介だけではなく、実際にデジタル画像を載せているサイトも多い。例えば「小野秀雄コレクション(東京大学大学院情報学環・学際情報学府)」は、計36点の作品を掲載し、しかもそのすべてについて文字テキストの翻刻を添えている。鯰絵に登場する象徴的な内容(要石、瓢箪、など)、擬人描写の方法、鯰退治の仕方などに思いを馳せながら、テキストを読み、絵を眺めて、興味がつきない。

中でも、とりわけ読み応えを覚えたのは、表題に掲げた「弁慶なまづ道具」である。長文のテキストをもって、地震にかかわる状況の記録や報道、地震に対応する情報や心得を伝えるという定番に対して、この絵に見られるテキストは、わずかこの七文字しかない。しかも絵柄に登場した鯰は、猛威を振るっているわけではなく、神や民衆に懲らしめられているわけでもない。それはなんと豪華な鎧兜を身に纏り、凛として仁王立ちした英雄然の古武士の姿だった。

いうまでもなく、絵の眼目は、「七つ」と「鯰」という二つの言葉の巧みな文字遊びである。七つ道具と言えば弁慶、ならば鯰それ自身が弁慶に変身したのだった。夜空の月、そばに聳え立つ五条大橋の欄干など、すべて自然に画面に登場した。そこで肝心の七つ道具である。もともと弁慶伝説において、七つ道具のリストには異説が雑然と混在し、熊手、薙鎌(ないがま)、鉄の棒、木槌、鋸、鉞(まさかり)、刺股(さすまた)というのがその中の一説に過ぎない。それに対して、ここに見られる道具は、斧、鋸、木槌と、地震退治のものばかりで、しかもその数と言えば、両手に握られたものを入れると、じつに十に数えるのだ。地震退治のための必須道具の絵リストというものだと気づいたら、文字テキストよりも、絵そのものが一種の情報伝達の効用を担っているに違いない。

ところで、ここまでユーモアたっぷりでいて、遊び精神溢れたものの作製は、地震による苦痛を忘れることを前提とすることだろう。情報におぼれる現代において、一つの事件を忘れるスピードははるかに速くなったとよく言われている。それにしても、八万人に迫る死者をもたらした自然災害の苦難を忘れるには、はたしてどれぐらいの時間が必要だろうか。

鯰絵・小野秀雄コレクション
鯰絵・日本社会事業大学
鯰絵・筑波大学附属図書館

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