2008年9月13日土曜日

「美術館」に思う

勤務する大学では、今週から新学年が始まり、今学期は日本語のクラスを一つ担当している。最初のレッスンの単語表には「美術館」が出た。あれこれと仕来りや役目などの説明の仕方を思い描きながら、手元にある『日本美術館』(小学館)のページをめくった。

この一冊の魅力は、まさにカラー写真の充実ぶりにほかならない。さながら机上の美術館という観がある。室町時代の部では、屏風画を取り上げ、伝狩野之信筆「四季耕作図」屏風、それにそれの規範だとされる中国の画巻『耕織図巻』の模写を大きな写真で掲載し、あわせて屏風画製作における中国画家のスタイルの影響を説明した。長閑な田園風景や田植えの様子など、まさに見ごたえのあるものである。この「耕作図」と名乗る作品群は、まるで一つの特殊なジャンルを成したような感じで膨大な数で作成され、各地に伝わり、さまざまな形で用いられ、社会生活の風景に溶け込んだ。巻物の形態のものが屏風絵の構図に展開し、しかもその中の一級品がどれも幕府の将軍に秘蔵されていたことなど、絵と時の権力との繋がりにまで思いが馳せる。

一方では、田植えといった自然風景のテーマは、中国絵画の伝来がなくても十分に成り立つものではなかろうかと、素朴な疑問も浮かぶ。水田の様子といえば、たとえば『一遍上人絵伝』(巻九第一段、写真)において非常に近い構図のものが確認できる。とりわけ畑を囲む畦、その上を歩く人々、それに全体の絵の色遣いなど、どれもまさに「既視の風景」である。

一枚の絵あるいは一群の作品の成立をめぐり、絵師、注文主、同じ時代の鑑賞者のありかたを教えてくれることは、まさに美術館の大事な役目の一つだろう。そのようないわば美術史の知識をわれわれはまず把握しておかなければならない。いまの例の場合、「耕作図」のなり立ちをめぐり、中国伝来の画巻と日本の寺院に伝わった絵巻とは、室町将軍の周辺の絵師に取ってはまったく違うレベルの存在だったことも事実だろう。ただし、このような当事者の認識や価値観を理解したうえで、絵の伝統の交差、特定の文化サークル以外に存在していた作画の存在を忘れないことも、それまた大事だ。

ちなみに、伝狩野之信筆の屏風はいまや京都国立博物館に寄託保管されているとのこと。いつかまたそこを訪ねることができたら、ぜひ見てみたいと思う。

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