2008年10月18日土曜日

街角の「ナンバ歩き」

ちょうど一年ほど前、東京のとある街角で撮った一枚の写真を披露しよう。わたしにとっては、いわば古典と現代との境に迷い込んだのではないかとの思いに捉われた一瞬であった。気持ちの動揺は、揺れるカメラアングルからも覗けそうだ。

これは、高校だと思われる一つのクラス風景だった。車が通わない道路を教室代わりに使い、一人の先生と十数名の学生が集まり、そこに展開されているのは、いわゆる「ナンバ歩き」、すなわち左右同じ側の手と足が同時に前に出したり、後ろに残したりする歩き方の理論と実践だった。先生は熱心に講義しながら実演をして見せ、学生たちは一列ずつ手まね足まねで前へ進む。若い女の子たちの笑い声が遠くまで聞こえていた。

「ナンバ歩き」を、自然な生活風景の一こまとして現代で見出せるとは、少なからず意外な思いだった。一方では、古典の文献、それまた絵巻などビジュアル的な資料において、人間の、そして人間に模して姿を成した鬼や動物たちの姿と言えば、きまってこのような歩き方を取っていた。絵巻の画面の中から、いまの人間の歩き方の画例を見つけ出すことは、ほぼ不可能に近い。

興味深いことに、このような古典文献に見られる歩き方をめぐり、現代の人々の捉え方が真正面から対立していて、明快な答えが見出せない。昔は現代と違うような歩き方をしていたとして、それがいまの生活に合致しないで忘れられた、というのが大方の見解だろう。しかしながら、その逆、昔の歩き方が優れていた。それが人間の体、少なくとも人間の体の仕組みと可能性を認識をするうえで、はなはだ有意義なものだ、との考え方も主張されている。まさにこの後者の考えから、「ナンバ歩き」が授業の内容に取り入れられたのだろう。

古典と現代の違い、それをめぐっての絵画表現を思考し、中国絵画の実例もあわせて紹介して、一つの短い文章に纏めた。それが数日前、刊行されるようになった。

「ナンバ歩き」にみる日本と中国の絵巻(『アジア遊学』114)

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