2008年11月23日日曜日

文学としての創造物

去る20日の早朝からボストンへ旅行してきた。飛行は7時間、乗り換えなどの待ち時間を入れれば片道正味12時間の長い旅だった。今の季節ではカルガリーよりは遥かに厳しい冬ではあるが、そのようなことを感じさせるような余裕をまったく与えてもらえないような、とにかく濃厚な時間だった。

旅の目的は、「日本文学の創造物(The Artifact of literature)」 と題する学会への参加だった。金曜、土曜との二日の間に、わずか2本の講演と12本の研究発表しか組み入れられていないといった、まごとに贅沢なスケジュールだった。記憶に残ったキーワードのみを記しとどめておこう。東屋、大沢本/名月記/扇、為世/夢/須弥山、意匠/飾り枠、芭蕉。絵巻のことも、もちろんいくつかのユニークな角度からスポットライトを当てられた。とりわけ物語の内容を貼り交ぜするよう意図的な構図、下絵からみる画面作成するためにプロセス、冊子本を崩した上で巻物に作りなおすという実例、どれもこれもたくさんのことを考えさせてくれるものだった。その中において、わたしは、「弥兵衛」の諸本画面の比較との研究を報告した。

いつでもその通りだが、学会の集まりとは、人間の交流が一番の目的であり、最大の楽しみなのだ。その中でも、一つだけ小さなことを書きとめておこう。会議の主催者とは、じつにちょうど十年前、同じボストンの地において、数百人規模の大きな学会で一つのパネルを作った。その時のキーワードは、中世文学に見られる「竜宮」。いまから思えば、勉強の小さな一つのステップにすぎない。しかしながら、十年経った今、お互いに同じ研究を続けており、しかも当時の四人のパネリストのうち、三人まで同じ会場に集まった。握手して、感無量だった。

二日の学会は、あっという間に終了した。最終日の夜、別れの宴会のあと、ホテルの横にある大きなバーに入った。十人を超えたグループだが、一人につき10ドルの入場料を払わなければ入れてくれないといった、ぎやかな店だった。若者向けの音楽が突然ボリュームをあげられた真夜中まで、いろいろな会話に夢中になった。翌日からは、参加者たちはそれぞれの職場の戻り、その半分は日本への帰途に着いた。授業など日常の仕事から離れ、毎日の生活の細々したことをしばし忘れた、至福な二日だった。

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