2011年8月20日土曜日

概念図

数日前のことである。研究をめぐって雑談したら、近代史を専門とする同僚の一人が無造作に一枚の地図を見せてくれた。戦前の中国東北地方を描いたものだが、実用というよりも、観賞用にと掛け軸に仕立てられ、タイトルには「○○概念図」と掲げてあった。これまでまったく出会ったことのないタイプの資料で、むしろ唖然とさせられた。まずタイトルのつけ方に馴染みがない。一覧できないものを図に具像化したものだから、概念の逆にいくものではないかと、自分の中で整理が付かないまま質問を投げたら、情報学を専門とするもう一人の同僚は、否、存在したものの形に捕われないで抽象した形で表現したものだから、概念そのだと諭してくれた。

「概念」をタイトルとして使うことのインパクトを忘れられなくて、数日経って、その経験を今度は別の友人に確かめてみた。文学を専門とする方で、それはごく普通の言葉だと教えてくれた。その方向で自分の手で調べてみたら、まさにその通りだった。インターネットでこの組み合わせを入力すると、戦前など古い時期にもっといく必要などまったくなくて、いま現に行われている用例だけでも、「震源断層モデル概念図」、「放射性廃棄物処理概念図」、「東北百名山概念図」と、まさにナウなことばかりが対象にあげられ、百花繚乱だ。

110820そこでさっそくつぎのことまで連想した。中世の研究において、「古地図」(「古絵図」、「荘園図」など)という一群がある。ビジュアルで、眺めて興味が尽きない。それはまさに「概念図」にほかならなかい。琵琶湖北端の菅浦を訪ねた時に神社のホールで撮影した写真(部分)を掲げてみよう。実物は重要文化財で、これは複製だが、かなり精緻なものだった。しかも、その昔はなはだ実用的な資料だったが、いまは掛け軸の形で壁の中央に鎮座する。ここに至れば、絵図の掲示方法だって、時の流れを映し出しているものだ。

菅浦与大浦下庄堺絵図

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