2011年11月14日月曜日

画像と遊ぶ

やや遅れた話題を記しておく。すでに数週間まえのことになるが、現在進行中の共同研究プロジェクトを外部の人々に紹介するために、それぞれ一枚のパネルを作成するような計らいがあり、そのための画像を用意することを要求された。いつもながらこのような必要は、新たな画像処理の方法を習得し、あれこれとデジタルマジックを試すよい機会となる。喜んで時間を費やした。

研究のテーマは、デジタル環境と日本の古典画像。互いに離れているこの二つのことを一つの画像のなかに持ち込もうと、さっそくそのコンセプトを決めた。古典のほうは、中世絵巻の代表格である「百鬼夜行」からハイライトとなる鬼の顔をある模写本から切り出す。デジタルのほうは、その画像が変形されたことをもって示す。だが、実際にやってみて、「デジタル」を表現することでは思わぬ形で苦労をさせられた。画像のデジタル化といえばそれをデジタル信号のドットに置き換えるということだから、そのドットさえ持ち出せば十分だと思い込んでしまった。画像の一角に狙いを定めて、すこしずつ違うサイズの枡をかけて、色を変えて、画像がデジタルに分解され、再現されたことを意味しようとした。出来上がったものを見て、自分はそれなりに満足したのだが、しかしながら周りの同僚に見せたら、そのような意図は一向に伝わらなかった。パソコンの画面をじっと見つめ、色や桝目のサイズをあれこれといじっているうちに、はっと思いついた。デジタルとは0と1の数字だということが広く知られ111112ているものだ。ならば数字そのものを入れて、デジタルという要素を明らかに書き入れたら、分かってもらえるものとなるだろう。けっきょくのところ、最終的に提出した画像はまさにこのような構図になった。しかしながら、理由がどこにあるのだろうか、はっきりしたコメントはいまだ一つも戻ってきていない。

そもそも古典画像とデジタル環境、この二つのことを合わせて一つの研究テーマにすること自体は、すでにかなりの跳躍があったのかもしれない。しかしながら、周りの研究者たちはみんなそれぞれの形でサポートをしてくれている。この週末にも、研究の意図やありかたをめぐる発表の場が用意されて、刺激になる交流ができた。組織者や参加者たちは熱心に問いただしてくれた質問や疑問などは、いまだ自分の中でしきりに反芻している。

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