2012年3月11日日曜日

北斎の富士

120311いまや北斎が描いた浮世絵富士は、日本を象徴するビジュアルの一つとなった。浮世絵そのものが多数制作され、簡単に海外に持ち出されることから、世界各地の美術館にはたいていなんらかの形で所蔵を持ち、その地に住む人々には身近な日本の古典を感じさせる。そのような中、先週には、一つとても興味深い研究発表を聞いた。研究者は、司馬江漢と北斎との関係、とりわけ構図の応用などの実例を指摘しながら、西洋のリアリズムの絵画の影響を唱えた。それと同時に、日本の伝統的な絵画の影響に目を配ることも忘れず、結論には藤原俊成の歌学の言説まで持ち出して、伝統と新意との融合の理由を説いて、とても示唆的なものだった。

それにしても、違う時代の絵となれば、それを見る目、鑑賞をする姿勢はこうも違うものかと、あらためて感心させられた。確立されたいろいろなジャンルを横断し、対象を描くのに用いる透視関係、表現の仕方などはもちろんのこと、たとえば英文字や風景といったまったく関係ない素材を突き合わせることも可能で必要な作業だ。果てには、既成の絵をわざわざ崩したり、くっつけたり、離したり、上下を逆にしたりと、一種の遊び心をもって立ち向かう試みまで取り入れられるものだった。いうまでもなく、その時代の絵師はたしかにそのようなところに秘密を隠し、ヒントを残したからこそ、そのような愉しみ方が期待され、有効的なのだ。

そこで、思わず中世の絵画のあり方を思った。近世を通過したそれは、流れる時間の中で姿を変え、天災や人禍を潜り抜けて多くを失い、さまざまな思惑のもとで切り取られ、分断された。失われ、断片となったものを探し求め、すこしでもかつてあった形に復元しようとするのは、研究者の第一歩になる。時代が違うと、これの逆の作業だって期待されるものだ。もともとそれだってけっして楽ではないことは、言うを持たない。

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