2013年9月21日土曜日

梓慶為鐻

学生たちとともに読む「夢十夜」。第二編に選んだのは第六夜だった。明治時代に紛れ込んだ運慶が、大勢に見守られて仁王の像を作るというあの夢である。個人的にはかなりの思い出があるもので、学生時代の、人生一大事の日本語試験に、解読文として読まされたものだった。ただ作者名も夢との設定もまったく知らされず、学習者として大いに苦しまれたという悔しい経験は、いまでも深く記憶に残っている。

久しぶりにこれを読み直し、関連の文献まで目を通したら、夢の設定は中国の故事を踏えていたということにはじめて気づいた。あの荘子に説かれた逸話だった。梓慶(しけい)という名の匠が、楽器である鐻(きょ)を作る、という話である。そこでは、人間離れの神技について、周りの驚愕に満ちた視線ではなく、匠本人が丁寧に解説を披露した。それによれば、しかるべき修行のプロセスを経て、ようやく到達できた最高の境地とは、自然の樹木を前にして、「見成鐻」、形を備わった鐻を自ずから見出せるのだと教わる。このように梓慶と運慶、楽器と仏像との対応がしっかりと結ばれ、芸術の境地が立体的に見えてくる。もともと、このような典拠が分かっていても、130921漱石の夢の魅力がすこしも減らず、とりわけ「土の中から石を掘り出す」といった洗練された比喩は、いかにも漱石らしく読む者に伝わり、表現としてますます光っている。

友人の好意により、今年もある書の同人展への出品を誘われた。試しにこの故事を内容とし、日本語による説明を添えた。ふだんまったく筆を取らないことは、書の先生にはすぐ覚られるに違いないが、一つの貴重な思い出としてここに記しておきたい。

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