2013年11月16日土曜日

清洲会議

このころ、伝説的な一大事件を語る、かなり現代的なニュアンスをもつこの言葉がかなりのヒットを得ている。個人的には、たまたま目に止まった電子ブックを購入し、さっと読み終わったころになって、これが映画とセットとして制作され、かつその映画もわずか数日前に封切りされたばかりだと知った。いまごろの時代劇は、天文やら、会議やらと、娯楽をベースにかなり対象を拡大したのだと感心した。目の前の講義の内容は、まさに信長と秀吉。クラスの最後の時間を利用して、学生たちといっしょに映画の予告編を楽しんだ。

131116同じ伝説を語るビジュアル的な古典材料といえば、おそらく右の絵だろう。「絵本太閤記」四篇の巻頭を飾るものだ。添えられた説明文は、「三位中将信忠卿之嫡男三法師君之像、羽柴四位少将筑前ノ守平ノ秀吉公之像」と読む。一つの歴史事件、あるいは闇に隠されたミステリアスな経緯をめぐり、それを語り伝え、思う存分に面白おかしく粉飾していく様子を至るところに伺える。ストーリの構成、文学的な虚構、歴史の虚実、そのどれを取り上げてみても、時間的にも空間的にもあまりにも離れているからこそ、すっかり楽しめる象になったものだ。たとえばこのような何気ない一枚の挿絵を取り上げてみても、はたして画像的な違和感は、どこに一番由来するのだろうか。秀吉の殿上人の装束、そして三法師が身に纏っているミニチュアバージョンの束帯姿などは、まずは考えれば考えるほどに滑稽に見えてくる。一方では、現代の小説となれば、秀吉の対応には、馬乗りや唐繰人形などのエピソードが案出されている。歴史といっても、時代の嗜好やその時々の常識にあわせてこのように形造られたものだと、あらためて思い知らされた。

ちなみに、この挿絵は、ウィキペディアの同条目の冒頭に掲げられている。一方では、はるか画質の良いものが早稲田大学の図書館から公開されおり、簡単にアクセスできる。デジタル環境の恩恵を示す好例として、あわせて記しておきたい。

「絵本太閤記」より

0 件のコメント: