2016年12月3日土曜日

新語・流行語

今学期の講義はあと一週間のみとなった。師走に入り、時の移り変わりに敏感で、しかもそれに対する表現も豊富なことを日本文化クラスでやはり触れておかなければならない。そんなことで、金曜日の授業の話題の一つに、いまや風物詩的な存在になったあの「新語・流行語大賞」をとりあげた。

どうやら今年の表彰対象に対して、例年以上に異論の声が大きい。流行と名乗りながらも、それと認定したいものと、実際に流行したものとの距離、表現しようとする意図や用いられた文脈もさることながら、いわゆる忌み言葉などの言語の位相、はたまた現実的な選抜委員会の構成など、関心が大きい分、議論も多岐にわたる。それらをつまみ食い的に読みながら、海外に身を置く者としてやはり日本を語るにはもってこいの実例なのだ。まずはあのPPAPがしっかりと入っている。NHKのニュース番組にまで取り上げられ、政府見解としてクールジャパンの代表的な存在に祭り上げられたものだ。クールな日本と意味不明なこれとの関連について、個人的には理解に苦労するところはいまでも残る。それが分かっていても、「これ、きっと今年の紅白にも登場するぞ」と軽く無責任なコメントを飛ばして、熱心な学生たちから軽い笑いを誘った。

一方では、これを議論する手頃な資料は、ノミネートが公表された日に発表された英語の年間流行語だった。今年のそれは、おなじくトランプ現象を指すもので、その中身を意味する「post-truth」なのだ。ただこちらの場合、メディアは一通り取り上げてはいるが、対象は一語のみで、入選発表も、派手な儀式も、そして複数のカテゴリーも一切ない。そして現実的に教室に座っている若者たちに質してみても、まったくの無反応だった。どうやら認知に関して日本語以上に実際の言語生活からかけ離れていて、興味深い参照を提供してくれた。

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