2017年1月23日月曜日

弾丸旅行

週末にかけて、京都で開催された研究会に参加してきた。絵巻、漫画、そして学校教育における日本の古典、どれを取り上げてみても、深く関心をもつテーマばかりだった。研究発表や質疑応答などから習ったこと、改めて気づかれたことなど、数えあげようと思えば長いリストになり、とにかく収穫が多かった。ここには、その中の一つの断片を記しておこう。

西洋の伝統における漫画、風刺画を取り上げる発表において、「カリカチュアを描くための原則」(Francis Grose、1788刊)が紹介された。関連の分野についての知識をほとんど空白な状態にいる自分にとっては、じつに新鮮で刺激的なものだった。そもそも一つの絵画のジャンルあるいは表現のスタイルについての、ここまで冷静にして、いわば斜めに構え、覚めた距離感を保ちながらの分析は、表現そのものが流行り、読者に十分に受け入れられてからはじめて現れてくるものだと、なんとなく漠然と想像していた。しかし、そのような根拠のない目論見は、こうも簡単に覆され、思辨的な西洋の伝統をあらためて認識させられた。さらに、この事実はとりもなおさず日本の絵画伝統についての捉え方への反省を促している。日本の芸術論、とりわけ絵画理論の歴史はごく簡略なものに止まったことは周知の事実であり、この分野を対象とする研究書も、どうしても周辺資料を応用する形で対応せざるをえなかった。ここに注目すべきことは、このような同時代の理論的なアプローチの淡白さは、そのまま今日の研究者の立場を規定し、暗黙の前提になっていることである。絵画表現についての、抽象的な捉え方を試みようとする努力の少ない現状は、このような日本の美術伝統の一側面とけっして無関係ではない。

研究会参加の旅行は、三泊五日という、言葉通りの弾丸旅行だった。移動や会合など以外のわずかな時間も、一分も無駄にしたくないと、努めて歩き回った。幸いしっかりと睡眠が取れたなど時差に苦しまれることもなかった。その分、普段の日課には数日の休止を加え、自宅を戻ったいまは、今回のブログの遅れた更新を含め、日常を取り戻すように集中している。

投企する古典性―視覚/大衆/現代
Rules for drawing caricaturas

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