2017年7月16日日曜日

「影」の使われ方

「十訓抄」を読んでみたら、つぎのような短いエピソードに目を惹かれた。

有国は伴大納言の後身なり。伊豆の国にかの大納言の影をとどむ。有国が容貌、さらにたがはず。(1-32)

話の主人公は、藤原有国。この人の普通ではないところは、あの伴大納言善男の生まれ変わりという噂をもっていたことである。善男と言えば、応天門炎上の張本人であり、しかもその結末は伊豆の国への流罪だから、そこにかれの影、すなわち肖像画が伝わったことは、自然ななりゆきだった。しかしながら、そのような絵画は、この世を去った人間への思いを託すだけではなく、なんとその人が生まれ変わったことへの証拠となり、しかもこの世に行きた人に明白に繋がるツールにまでなった。一枚の絵の効力に驚くほかはない。

特定の人間の姿を留めるための肖像はどのように作成されたのか、これ自体を伝える絵巻の一場面がある。弘法大師が、弟子が描いた師の肖像にみずから筆を取って開眼を加えた様子を記したものである(「弘法大師行状絵詞」巻十第三段)。あわせて眺めると、なんとも味わい深い。

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