2018年1月13日土曜日

ワールド・カフェ

新学期が始まった。今年は小さなクラスを一つだけ担当し、少人数の学生を対象に日本語の作文を教えることになっている。一方では、さまざまな行事が重なり、違う意味で慌ただしく、日程があっという間に埋まった。その一番に、「世界日本語教育ワールドカフェ」に誘われて、昨日の夕方参加せてもらった。

行事には、なんと15の国から60人近くの人々が一堂に集まった。事前連絡などに使われた時間は、すべて日本時間に統一したところに、グローバル的な色合いが極端に現われている。組織者たちの献身的な企画と準備のおかげで、「カフェ」が非常にスムーズに運ばれ、じつにたくさんのことを学んだ。チェックイン、ランドル、ハーベスト、はたまたグラフィックレコーディングなどなど、すでに繰り返し試みられたであろうと思われるやり方が次から次へと繰り出され、ここで初めて出会った語彙をあげても長いリストとなる。そして何よりも交わされた話題や参加者たちの発言から考えさせられるものが多く得られた。日本語教育という共通したキーワードのもと、世界の状況が語られ、新しい人たちと出会い、バーチャル世界での可能性に改めて新鮮な驚きとささやかな感動を覚えた。

時を前後して、同じく日本語教育の方面からもたらされた話題があった。音声入力が著しく進化したとのコメントに接し、自分も試したくなった。さっそくパソコン、スマホなどでの対応環境を整え、このエントリはその最初の試みなのだ。結論から言うと、大いに満足のできるものである。長年のタイプしての文章作成からの隔たりは思うほど大きくなく、なによりも変換の正確さにはわくわくさせられた。どうやら現在のところ句読点の入力にデフォルトでは対応していない以外、これといった不便をとりわけ感じていない。いまこの瞬間、あるいは大きな一歩かもしれない。

音声入力しながら音読して発音チェック

2018年1月7日日曜日

ビジュアル・テキスト

日曜日の朝、短いハワイへの旅行から戻ってきた。今学期の講義はいよいよ明日から始まる。年末年始を締めくくる慌ただしいスケジュールの中、直行便七時間、時差三時間離れた島への五日間は、仕事再開へのよい助走となった。

旅の理由は、とある小さな学会への参加である。デジタル環境と日本の古典研究を語ってみたのだが、集まりのテーマは学校教育、しかもかなり国際色豊かなものだったので、自分の立ち位置との関連をさほど期待していなかった。しかしながら、その中でも意外に勉強になったことが多かった。その一つには、ネット・ライニングを取り上げた研究で訴えられたテキスト情報についてのビジュアル的なアプローチである。現在のネット環境での双方向の教育活動において、どうしても文字情報の占める割合が高い。それについて、発表者は文字のビジュアル性の大切さを強調した。そのように言われてみれば、発表スライドの作りも、文字の配置、サイズ、カラーなど丁寧に対応していることが分かる。運筆、勢い、フォントの選択など、文字そのもののビジュアル様子にばかり注意を奪われがちだが、デジタル環境での文字の使い方を忘れてはならないと気付かされた。

数えてみれば、前回ハワイを訪ねたのは1996年。あの短い旅により、自分の研究には掛け替えのない縁が無数に結ばれた。あの時に参加した学会の記録は、いまだ組織機関のサイトに残っていてアクセスできる。末席に座らせていただいたラウンドテーブルのタイトルには、なんと「ビジュアル」、「テキスト」などのキーワードがしっかりと入っている。さすがに「デジタル」がなくて、代わりに「コンピューター環境」とあった。しみじみと見入った。

IAFOR International Conference on Education

2018年1月1日月曜日

戌歳賀正

謹賀新年。

戌年を迎えた。雪が降り積もり、冬一番の寒さが続いている。「紅白歌合戦」を眺め、ゆっくりと流れる時間に身を任せている。

干支は変わり、思いはつい絵巻に馳せる。絵の中の犬、探し求めて改めて気づくが、たしかに人間の暮らしの中に早くから入ってきているが、昔はかなり様相が違っていた。餓鬼の仲間となる犬(「餓鬼草紙」)、琵琶法師に吠える犬(「慕帰絵詞」巻二第二段)、そして門のうちにはいるが、修行者を追物射する行動に飛び出そうとする犬(「男衾三郎絵詞」第二段)などなど、どれも今日の感覚からかなり離れたものばかりだった。犬同士がじゃれ合い、それが人間の慰めとなるような構図は、どうやら浮世絵の時代を待たなければならない。ただ、その中で特筆すべきなのは、やはり「十二類絵巻」に描かれたそれだろう。堂々たる風貌を誇り、着物姿で歌の席に正座する。とりわけ国文研蔵の模写がいい。元の絵をそっくり再現することに過剰に気を遣うことはなく、むしろ描く人の思いが込められた、清々しい。

それにしても、動物たちを主人公に据え、和歌だったり、合戦だったりの場に引き連れ出さなければならない理由、それを実現するための情熱は、どこから来たのだろうか。秋ごろに予定されているシンポジウムに向けて、課題の一つとしたい。

鳥獣絵卷」(国文学研究資料館蔵)